大阪府熊取町の謎の連続自殺

【事件概要】

 1992年6月から7月にかけて、大阪府熊取町で17歳から22歳の若者が連続して自殺、変死するということがあった。一週間ごとに、それも決まって水曜日か木曜日に自殺するというミステリー。しかも死に場所が5人に関しては半径600メートル以内。当時はマスコミがそれを取り上げ熊取町は一時パニックのようになった。

1992年(平成4年)とはどんな時代だったのか?

 ・尾崎豊死亡 4月25日肺水腫により死亡。この日午前5時東京足立区の小峰さん宅の庭先に全裸で倒れているところを小峰さんに発見され、救急車で白鬚橋病院に搬送される。その時は伝酔状態だったが繁美夫人が病院に駆けつけたときには意識もはっきりしていた。その後自宅に戻るが状態が急変、救急車で再び日本医大病院に運ばれる。25日午前零時6分永眠。告別式に若者3万5千人が行列。
 ・三内丸山遺跡発見
 ・桜田淳子 統一教会合同結婚式 福井県敦賀市に居を構える
 ・バルセロナオリンピック マラソン谷口浩美「こけちゃいました」 岩崎恭子金メダル
 ・貴花田 史上最年少で幕内優勝 その秋、女優宮沢りえと婚約発表
 ・大規模小売店舗法施行
 ・3月1日 暴力団対策法施行
 ・新型「のぞみ」登場 東京大阪間が2時間半に。
 ・長崎ハウステンボス開場
 ・ロサンゼルス黒人暴動 「ロドニー・キング事件」のビデオで全米が注目する中、4月29日の裁判で白人警察官に無罪判決。判決から1時間もしないうちにサウスセントラル地区で暴動が始まった。抗議行動は次第に略奪・放火とエスカレートしていき、その矛先は韓国人街へと向けられた。これには黒人層の在米韓国人に対する深い不信感があったと言われている。
 ・宮崎駿「紅の豚」
 ・甲子園大会で松井秀喜5打席連続敬遠
 ・自民党金丸信副総裁 佐川急便事件で辞任
 ・アメリカ留学中の服部剛丈君射殺される。「フリーズ」と「プリーズ」を聞き間違えた。
 ・「美少女戦士セーラームーン」アニメ化
 ・スーパーマン コミックの中で死亡
 ・仙台市内で2月から4月にかけ同じ中学の高校生3人が次々と首吊り自殺
 ・作家・松本清張 棋士・大山康晴 俳優・アンソニー・パーキンス 漫画家・長谷川町子 死去
 

熊取町

 大阪府南部。泉南郡に属する。人口約43000人。郷土史によれば昔、大阪堺地方に「くま」という盗賊がおりその征伐の際にこの地方まで逃げ延びたところを捕えられたところから「熊取」と名づけられたという。
町内には大学施設があり財政状態は比較的良いとされる。

大阪体育大学
大阪観光大学(旧:大阪明浄大学)
関西鍼灸大学
京都大学原子炉実験所

「中家住宅」(重要文化財)

吉川友梨ちゃん事件

熊取町内では03年5月20日、当時小学4年の吉川友梨さん(10)が帰宅途中に行方不明になった事件があった。場所は町内の七山地区。現在も消息はつかめず。目撃情報に「白や黒の不審な車両」



【事件詳細】

4月29日(木) シンナーによって板金工のA君(17歳)が熊取町内の貯め池で泳いで死亡。

5月29日(金) 無職・B君(17歳)がシンナー吸引による心不全で死亡。

6月4日(木)  無職・C君(17歳)が自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺(ロープ)遺書には「借金を返してほしい」10万円ほど?

6月10日(水) 土木作業員・D君(18歳)がかつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺(ロープ)結婚予定だった。婚約者は妊娠中。

6月17日(水) 旅館従業員・E君(18歳)が農作業小屋で首吊り自殺(ロープ)手首が後ろ手で縛られていた。

6月25日(木) 熊取町在住の岸和田市職員F君(22歳)が町内の森で首吊り自殺(シャツ)手の届かない高い枝にシャツがかかっていた。

7月2日(木)  熊取町内の女子大に通うGさん(19歳)が胸を果物ナイフで刺し自殺。 「違う、違う・・」という言葉。


毎日新聞では6月26日朝刊でこの事件を取り上げている。(F君死亡の翌日)
「この6月何があった?友人、知人・・・少年自殺、週1人ずつ」
この記事ではA君、C君、D君、E君、F君の5人を記載。この時点ではF君は身元不明の扱いでもちろんGさんはまだ亡くなっていない。
この週にはワイドショーもかなりの時間をさいてこの事件を報道していた。
アナウンサーが来週の水曜日を心配していた。

C君とD君とは幼馴染であり、E君とD君とC君は暴走族仲間。C君とB君とD君はバイク仲間。C君とA君とD君は同じ中学の先輩後輩であり、D君とE君は一緒に働いていたこともある。
また、D君とE君とGさんには不審な車につけられていたという証言がある。



「完全自殺マニュアル」鶴見済著 が発行されたのは1993年7月。この本の中でも熊取は紹介されている。作者はその後もこの事件を足を運び取材している。雑誌「SPA」の中の「中森文化新聞」において不気味ワタルというネームで記事を書いている。(以下要約)

-「ポップティーン」から電話がきた。現地に行って調べてこい、という依頼だ。・・刑事気分で聞き込みを始める。ところが返ってくる答えは「誰かに殺されたんやろ」という他殺説ばかり-



鶴見氏は著作「無気力製造工場」の中でもこの事件についてレポートしている。

・自殺した3人と知り合いだったという女の子の証言 「前から殺されるって言うてて、あと2人殺されるらしい・・」
・高1生の証言 「全部で9人殺されるって言うてたわ。9人てよう言うてる」
・D君は有名だった。一番目立ってた「Dの走りは全開バリバリや!」「Dのグループは7月7日に解散式やった」「誰かが自殺すると遺影をもって走ってた。70台はあった」
・少年達の証言の途中、D君と仲のよかった少年の名前を聞き出そうとすると「今のはマジでヤバいから・・マジで・・」
・ある16歳の女の子の証言 「Dにはシンナー誘われたことがある。むちゃくちゃカッコええって評判やった。自殺?そんなことせえへんよ」
・「あいつらが自殺するわけない」
・自殺したD君やE君やGさんは不審な車の話をしていた・
・Gさんが殺された日に警察は地域の白い車のナンバーをメモしていた。
・友人の証言 「このまま自殺ってことで終わらせてほしくない」「このままじゃあはらわた煮えくりかえる感」



ちなみに少年自殺の年間推移は

平成3年454人
平成4年524人
平成5年447人
平成6年580人

平成4年がとび抜けて多いというわけではない。歌手岡田有希子さんの飛び降り自殺があった1986年(昭和61年)は1984年572人1985年557人に対して802人である。これはウェルテル効果(誘発効果)が顕著にあらわれた結果だと言われている。



この事件をたんなる連続自殺ではないとする記事があちこちで見られた。現在でもネットで検索すれば同じような論調に出会う。
そういう記事を丹念に読んでいくと若干の情報の混乱が見られるが不審な点は多い。



6月4日(木)  無職・C君(17歳)が自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺(ロープ)遺書には「借金を返してほしい」10万円ほど?遺書らしいものは借金の話以外は無かったとする記事もあるが、1992年9月の「新聞研究」共同通信の田邉記者によると自宅の仏壇の傍に置かれた折込広告の余白にバイクの購入費を返すようにとのメモがあり、さらに「さいごのさいごまで迷惑かけてごめん」と書かれていたとある。これが自殺をほのめかしているのか失踪をほのめかしているのかは定かではないが。
B君の死に強いショックを受けていた。バイクはホンダCBX400 父親は某学会員

たまねぎ小屋跡



6月10日(水) 土木作業員・D君(18歳)がかつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺(ロープ)結婚予定だった。婚約者は妊娠中。

父の事業失敗により自宅が他人の手に渡る。当初反対されていた結婚もようやくまとまり、「祝儀をくれ」などと言っていた。新居も探していた。C君の葬式で「何で死んだんや!」「頑張って生きていこう!」とまわりを励ましていた。バイクはホンダCBR400 「風」という暴走族グループ。リーダー格。駅前のワンルームに一人暮らし。一生懸命働いて自分の家を取り戻そうとしていた。
自殺前々日も母親に「お弁当を作ってくれ」と元気に出て行っていた。また新しいランチボックスを母親に頼んでいる。9日夜11時には父親と電話で仕事の打ち合わせをしている。死亡推定時刻はその2時間後。 
 母親の証言 「昨年暮れバイクで走っていて白いクラウンと接触した。それ以来白いクラウンに追われていた。遺体も変やった。縄の跡が斜めじゃなくて横についていた。首吊りの跡に見えない。肩をいからせて死んでいた」       
                        



6月17日(水) 旅館従業員・E君(17歳)が農作業小屋で首吊り自殺(ロープ)手首が後ろ手で縛られていた。

高校中退後(高知の野球名門校)D君の父親の会社で働く。倒産後三重県鳥羽の旅館で働く。しかし死ぬ前日には「金ためて免許とって車を買う。また来る」と元気に話していた。18歳の誕生日がきたら自衛隊に入隊するつもりだった。
13日に勤めている旅館に「明日帰ります」と電話があった。
D君の母親がD君の死後、E君に電話している。「息子が白い車に追われていたと言っていたが本当なのか?」と尋ねた。E君は「うん、俺とDは見た」と答えた。
その電話の2日後にE君の死体が発見されている。
16日昼に元カノに会いにいくが、もうすぐ結婚すると知らされショックを受けた様子で「ロープはないか?」と漏らす。
友人と別れた6時間後死体で発見される。




このE少年の自殺の時に初めて田邉記者が現場に向かっている。
「大阪府警の担当から熊取で若い男の首吊りだ、殺しかもしれないとの連絡を受けた。後ろ手の状態だったからだ。現場に到着するとすでに泉佐野署は自殺と断定していた。ビニール紐は手首にゆるく巻かれた状態で、自分の手で十分できるものだった。そしてこの時期からマスコミが熊取に殺到する。町内を歩けば必ずどこかの記者にあった。住民の間には噂が噂を呼んで「暴力団に追われていた」 「リンチで殺された」という噂が飛び交った。」
        
 E君の第一発見者 90歳のおばあさん 「よう目が見えんもんやから最初は立っているように見えた。「あんたいつまで立ってるんじゃ」と声かけた。返事がないんでおかしいなあと思ったら、近所の人が通りかかって「あんた、この人死んでるで」と言われて腰抜かしそうになった。





6月25日(木) 熊取町在住の岸和田市職員F君(22歳)が町内の森で首吊り自殺(シャツ)手の届かない高い枝にシャツがかかっていた。岸和田市職員 粗大ごみの担当だった。無断欠勤もない真面目な勤務態度。マラソンが趣味で陸上サークル所属。
当日も弁当持参で粗大ごみの収集に出かけそのまま連絡取れず。翌日自宅近くの森の栗の木で首を吊っていたのを発見される。シャツはピンク色だった。今、その木は切り倒されている。





7月2日(木)  熊取町内の女子大に通うGさん(19歳)が胸を果物ナイフで刺し自殺。 「違う、違う・・」という言葉。 遺書はなし  

体育大学に入学したばかり。高校時代はソフトボール部で真面目な性格。2日前に陸上競技の自己ベストを出したことと帰ってから見たいからと「北の国から」と「大相撲」の録画を両親に電話している。異性関係はなく、寮生活で私生活にトラブルはなかった。友人には「黒い車につけられている」と話す。
死んでいた場所は町営グラウンドの側溝の中。時間は夜8時。近くには歯科医院や理髪店があり人通りもある。
発見されたときは意識朦朧の状態で「違う、違う・・」と繰り返していた。何が違うのか?自殺とは違うのか?私とは違うのか?
左胸に2箇所の刺し傷があり、他にも数箇所の傷があったことから警察はためらい傷として自殺と断定。
        






この後週刊誌なども大々的に特集記事を組む。

この年仙台で起きた連続自殺とあわせて、「クラスター自殺(群発自殺)」の指摘記事もあった。
        
        

「少年の街」の著者 藤井誠二氏
「暴走族の子供の共通していえるのが(寂しいのが怖い)ということなんです。だれか仲間が自分たちから抜け出していくのに強い恐怖感を持っているんです。その一方で根強い閉塞感も持っている。所詮自分はこの程度という(予定挫折)してしまっているのでは」
        
「事件を見にゆく」の著者 吉岡忍氏
こうした少年を受け入れてきた地域のシステムが都市化によって崩壊したのではないか。不満を発散できるような盛り場もない彼らは想像以上の閉塞感の中にあったと思う」
*「事件をみにゆく」は87年北海道白老町で起きたシンナー仲間5人による連続自殺を取り上げている。
        
        
ちなみにこの年大阪ではシンナー死が相次いだ。
  ・1月12日 堺市で19歳の少年が転落死、シンナー吸引中
  ・3月1日 阪南市で17歳少年がシンナー吸引中死亡
        
推理作家 佐野洋氏
「データが乏しいので軽々なことはいえないが、何かを約束して順番に自殺したという見方もできる」
        
日本青少年研究所所長 千石保所長
「最近の若者は他人の行為をシンボル的、記号的にとらえ簡単に同調する傾向が見られる。「一週間おきに自殺」という側面に同調した「記号自殺」ではないか。
       

和歌山の集団自殺は「真理の友教会」の女性信者7人による集団焼身自殺。





A君が溺死した池。仲間はよくここでシンナーを吸っていた。





        ≪参考文献≫

        太田出版 「完全自殺マニュアル」 鶴見済
        太田出版 「無気力製造工場」 鶴見済 →「熊取町 ”自殺ミステリー”を追う」
        講談社 フライデー
        祥伝社 微笑
        小学館 女性セブン
        文芸春秋 マルコポーロ
        扶桑社 SPA
        朝日新聞
        毎日新聞
        
        ≪リンク≫
        
        http://yabusaka.moo.jp/kumatori.htm






この事件に関しての怪文書では岩永天佑「告発の書」が有名である。
仙台の連続自殺とともに7という数字に着目した内容になっている

-決定的なのが大阪府泉南郡熊取町で、これもまた1992年度に入ってから起き
た、『若者7人連続怪死事件』である。この怪事件の詳細に関しては各マスコミが
連日、「熊取初7日自殺」として大々的に報道していたので、既に御存じの事と思
うが、念のため事件のあらましを要約すれば、5月までの少年2人の変死(いずれ
も当時17才、警察発表はシンナー吸引を伴う事故死)の後、6月の1ヵ月だけで
何と4人が熊取町内で連続首つり白殺(バイク仲間の少年3人と22歳の地方公粉
員、特にバイク仲間の少年3人に関しては6月4日、6月10日、6月17=7・
7・7と妙に7を意識した奇妙な死に方をしている。公粉員は6月25日)、最後
が7月2日、女子体育大生の胸に果物ナイフが刺さって路上で失血死した(警察発
表はまたもや「自殺」である)というものである(バイク仲間の3人と合わせれ
ば、ほぼ1週間おきの5週連続自殺となる)。6月10日、17日の2人の少年と
体育大生に関しては、かねてから「不審な車に跡をつけられている」と身内や友人
に打ち明けているにもかかわらずにである。
 都会ならまだしも、なぜローカルな平和な田舎町でこのような「怪事件」が続発
して起こらねばばならなかったのか、誰もがミステリーであり、疑問である、と思
うであろう。しかし我々に言わせれは決してミステリーではないのである。まして
や偶然などでも決してなく、起こるべくして起こった事件なのである。しかも絶対
に“熊取町”で起こらなければならなかったと言い切れるのである。
 この真相を明かす前にもう一つの「怪事件」に触れておきたい。仙台の中学同窓
の『3高校生連続自殺事件』である(それぞれ2月9月、4月1日、4月9月、2
人が自宅、1人が物置)。「連続自殺」となっているが、もちろん警察発表が、で
ある。警察が変死事件を確率的に見て、殺人よりは「自殺」としてかたづけたい気
持ちは分からなくもないが、自殺(事故)の目撃者がいない以上はすべて殺人の可
能性も含めた変死事件として扱うべきである。例えばこの場合、何者かが(恐らく
2人以上が)自宅に忍び込み、一人でいる少年を縛り上げ、脅して「遺書めいたも
の」を書かせた後で、絞首刑のごとく処刑したとも十分に考えられるのである。こ
れらが「自殺」か殺人か、という疑問はさておき、奇妙なのは「彼ら3人がクラス
は違うが同じ中学の同窓生だった」という事実だ。もちろんこれだけでは確かに奇
妙であり、ミステリーではあるが、有り得ないことではない、非常に確率は低いが
偶然の一致である、と反論の余地があるだろうが、じつは彼らも“7”に関連して
死んでいるという次の事実を挙げれは、偶然だ、などという反論の余地などもはや
ないであろう。そう、彼ら3人はすべて仙台市立“7郷”中学の同窓生なのであ
る。しかも「第7中」というような形容詞的なものではなく、“7郷”というのが
固有の名詞であることに注目してほしい。7を固有名詞にもつ学校などそう多くは
あるまい。7郷・7郷・7郷=7・7・7。

 すでにお気づきのことと思われるが改めて愕然としていただきたい。もちろん園
児達は7に関連して死んでいる。しかも極めつきの“7”で。ななさと・ななさ
と・ななさと・ななさと=7里・7里・7里・7里。園児たちが“仲間”でなけれ
ばならない理由は既に述べたとうりである。しかもこの園児達はすべて“7山”出
身者ではないか。7山・7山・7山・7山。もはや返す言葉もないであろう。同時
に熊取に関しても真相を述べておく。先に我々は熊取で起こるべくして起きた事件
と述べた。そう、地図を広げて調べてみてほしい。驚愕すべきことに熊取にも“7
山”が存在していたのである。先の「怪死した7人」は“熊取7山”を“象徴”す
べく“何者か”の手によって“生け贄”として貢がれていたのである。

7山・7山・7山・7山・7山・7山・7山。

熊取の警察がすべて「自殺」と断定したのは、“象徴殺人”という概念が完全に欠
落していたからであり、まさに犯罪的捜査ミスを犯してしまったと言えよう。
 これらすべてを総合して検証してみると、先の少女のひとりは7・M生まれ(逆
算すると7月13日生まれということになろう、12、ないし14の場合もあろう
が)―7・Mt―7山での7年7月7日という具合に7という“時”を暗示させる
ものであり、後の3事件はそれぞれ“7郷中学“、“7山病院前”、“7山”とい
う具合に7がつく路線バスの停留所名にも象徴される町=“場所”を暗示させるも
のである。加えて7郷に関しては同時に儀式に貢がれる被害者の出身校名にもなっ
ており、今回の事件ではななさと・7里保育園児が被害者となっている。